chaoはゆめみがち

このブログでは、リアルの友人関係ではなかなか言えない部分を表に出すことを目的としたいと思っています。 普段思っていることや感じたこと、ただの日常生活のことなど、雑記です。 意見を頂けるのはうれしいです。 が、あくまで個人の感想を書き記すものですので、合理的・理性的な対応を求めます。 ではお手柔らかに、よろしくお願いします。

ゆめまとめ

今までに見た夢の記録。

整合性なんてないない。

 

夢 その1 - chaoはゆめみがち

夢 その2 - chaoはゆめみがち

夢 その3 - chaoはゆめみがち

夢 その4 - chaoはゆめみがち

夢 その5 - chaoはゆめみがち 

夢 その6 - chaoはゆめみがち

夢 その7 - chaoはゆめみがち

夢 その8 - chaoはゆめみがち

夢 その9 - chaoはゆめみがち

夢 その10 - chaoはゆめみがち

夢 その11 - chaoはゆめみがち

夢 その12 - chaoはゆめみがち

夢 その13 - chaoはゆめみがち

 

喉元過ぎれば熱さ忘れる

あんまり思い出してもイライラするかもなのですが、ため込むよりもいいのかと思ってあえて書いてみます。

 

男どもはどうしてありがとうの一言が言えないのか。それがいえるだけで円滑に回るのになぜ労力を惜しむのか。めんどくさいとか恥ずかしいとか知らねえから!ふざけんな。

⇒相手にせず、協力しない、そういった対応も必要だ。

 

悪口を言うのに間に挟むな。いう言わないの問題にすり替えるんじゃなくて、適切なタイミングを選べってだけの話。自分の主張のために弱い者を巻き込むのは卑怯だ。

⇒相手しない、自分のケツを自分で持たせる。ほっといたらすぐ忘れるから妥協せず釘をさす。

 

自分が入ることでしんどくなるから、放置・不干渉、または拒絶を貫くのがよい。

しね、などとは思わないが、この怒りやモヤモヤを吐き出すに値する適切な言葉はないだろうか。ええかげんにしとけ、って感じかな。

なめんなよ、クソが!!!

 

 

 

 

 

 

 

お久しぶりです。

色々と元気でやっていました。

一部界隈で克服のためにパートナーの存在が……というものを自分でも実践して、見事快復したように気持ちがあります。実際にはそこから自分を見つめなおすことや、新しい問題に飛び火することもあり、一概に快復したとも言い切れないので、ここに戻ってきたわけですが。

ここは自分の吐き出し口として、また一つ活用したいなと思います。自分の精神や行動が、他人に与える影響というものは大きいということは、常々人に求めてきたものですが、それが自分にもまたかえってきている。しかも、危機管理的に思いつく無難な手法でなく、幸福や快楽にアプローチした攻めたものでないといけないというところが、同じようで難しい。

私がしあわせになれる日は、くるのだろうか。

 

身内が不幸

身内に敵が多いような人生。

他人は他人なので、あえて厳しくはしないのだろう。

身内は叱咤激励のつもりで、厳しく接する。

しかしながら、それを受け入れられる状態かどうか、見極めることが必要なのだ。

 

愛情は一方通行では伝わらない。

自分がされてきたことが、否定されたことで、同様の事態を自分も否定することになった。因果だなあ。

この因果を断ち切るためには、更生するか、死ぬしかないように思うのだ。

 

どいつもこいつも、人間なんて勝手なものだ。

そしてそんな世界でしか生きられないという業を感じる。

憧憬を乗り越えて

お久しぶりです。

このブログの存在を忘れる程度には現実が充実し、反対に闇落ちすることもなく日々を過ごしていました。

そう、これを書くということは、精神面の不調があったからなのです。

 

遠く離れた地から少し戻って、やはり身の回りの人間のすべてではないにしろ、クソな人間が多いこと多いこと。しかしそのクソさを改善できるほど自分に人望がなく、理詰めで考えても変化は期待できないこと。

そういう視点で考えると、縁を切り羽ばたくべきだが、その決心もつかないこと。なぜ躊躇しているのかはわからないが、やはりそこにも不安という感情が関与しているのは間違いない。切実に安心が欲しい。即効性のある安心も、長期安定のための安心も。

 

一つ乗り越えられてると感じるのは、親に言い返すことができていること。

友人にも思った通り発言してみて、その返事に惑わされなくなってきたこと。

自分一人で深く考えすぎないこと。(SNS掲示板は自分を掘り下げる機会を作りがちなので危険)

イケメンかわいいと思っていた同窓が、大したものではなかく、むしろ自分こそ優れたように思えたこと。

 

 

色々反論や別の視点から考えることもできるが、あえてここは自分の肯定感のために、自己を妄信してみることとする。

【レビュー】君の膵臓をたべたい【映画】

ネタバレ注意です!!

 

映画『君の膵臓をたべたい』を(アニメ版)見てきました。原作は未読です。

 

【ストーリー】

 序盤はヒロインのさくらの「キミ」という呼び方や、さえない男にアプローチを続ける理由がはっきりしていなくて、「あーオタク特有の気持ち悪いやつだー」とか思って見てました。セリフ回しとかキャラ立ちとかがホントに寒くて、めっちゃヒいてたww

 「俺は他人に興味ないですよ、関わりたくないんですよ」とか言ってる人をどうやったら焼肉食べたりとか図書室から連れ出したりとかできんねん!そういった心情とかは細かい描写は原作にはあるのかな?なければご都合主義すぎて微妙……。

 ただ、中盤からはすっと入れるようになりました。さくらにとっての日常を与えてくれる存在だから興味をもった、という主人公への興味の理由や、まあもし恋心だとしても明確に理由なんてなくても好きになることってあるよなーとか思い始めたので。

 通り魔はなるほど伏線って感じ。王道にびっくりさせてくれた。正反対なのか似た者同士なのかを決めるのは野暮なことだね。ただ二人が惹かれる関係だった、それでいい。

 最後の方は主人公がどんな進路を選ぶのか、とか恭子とくっつくんだろうなと思いきやそうでもない感じで。なんでもすぐくっつけたがるのは僕の悪い癖ですね。でも、自分の生き方を選ぶんだ、俺はこの生き方を選んだんだという感じは好きです。

 

【演出・演技】

 基本テンポよく進んで飽きさせない感じ。最後のカットとかザ・王道って感じの1コマ。でもそれがいい。ってかLynnさん本当いい演技するよな。Just Because!もそうやったけど、声優なんだけどなんか自然な感じ演技感があっていい。

 

【点数】

 80点ぐらい?無難にいい感じやと思う。(実写の方だけど、)話題作になってたのはわかる。

 特典としてもらった冊子もまた読んでみよう。これめっちゃいいじゃん。蛇足かもしれないけど、ここにこの作品の言いたかったことが詰まっている感じがする。いいものもらった。

 

甲子園に連れていって!

 タッチは世代じゃないです。というかあの人の作品は全部顔一緒に見えるんだ。一回見てみないとね。

 

 さて、今年の甲子園は100回大会ということで、毎日有名人の始球式があり、それも大きな話題を呼びました。ですがなんといっても秋田県金足農業高校が103年ぶりに決勝へ進み、ラスボス感のある大阪桐蔭高校との一戦となるアツい展開でした。

しかし、肝心の試合展開は序盤から大差をつけられ、あまり盛り上がらず、ドラマにはなりませんでした。そこで、高校野球とはどうあるべきなのか、ということについて考えてみました。

 

高校野球の目的

 高校球児

 ・日本一になること。

 ・夢の舞台で戦うこと。

 ・より強い相手と戦うこと。

 ・就職、進学の実績作り・売名のため。

 大人

 ・他人がひたむきに頑張る姿を見たい。

 ・母校の応援をしたい。

 ・経済効果が大きい。

 

その1

 廃止。そもそもいる?他競技に比べて優遇されすぎている気がする。

 高校生の氏名や顔などをTV放送する必要や理由はあるのか。最近は球児だけでなくチアや吹奏楽など本来の競技と離れた生徒も映されている。当然承諾など得られていないだろう。インターネットにキャプチャ画像等が上がり、半永久的に情報が残ることも考えるとリスクが大きすぎるように思う。そこまでして人間とは自己顕示欲を満たしたいものなのだろうか?

 大体、部活動というもの自体が課外活動であり、本来自由参加であるべきものである。部活動の問題点は、まず顧問が薄給で長時間拘束されるという点。これは違法労働であり人権侵害である。

 次に、生徒も長時間拘束される点。そもそも部活動のメリットとはなんなのだろうか。それは部活動でしか得られないものだろうか。放課後の非行を防ぐ、自由を制限するために部活動加入強制する。そんな場所で一体何を教えるのだろう。自由権の侵害である。

 ちなみに部活推薦による進学、もってのほかである。それほど本気ならばクラブチームから実業団にでもいけばよいし、高校生として学業を修養する意味がない。本来の高等教育に戻すという意味で、即刻こちらも廃止するべきである。(ということは、私立学校も大幅に減らすことができる)

 

 

その2

 どうしてもやるならば。

 公立と私立を分けるべきである。財政規模、入試制度などが違うため、今回のような戦力差のある展開がこれからも続くだろう。それは面白いのか?

 戦力差のある試合を見たければ、オリンピックなど世界大会を見ればよい。そちらなら放送してもよいだろうし、それを応援できないのならその程度の熱意で、そんなものはない方がましだろう。

 所属で分けるのが気に入らないならば、最後に公立トップ対私立トップでリーグ戦でもすればよい。そこで勝負すればはっきり最強が決まるだろう。そうするとただのプロ野球になるのだが笑

 

まとめ

 これ以上現状の高校野球の取組を続けることは、日本社会のさらなるブラック化を助長、肯定することにしかならない。時代は変わっているのだ。存続するならば、時代に合った形に合わせるべきだ。こういう人権、人間らしさという点、早く欧米を見習うんだよ!!!クソ社会!!!

正しいライブの楽しみ方(後編)

では、後編。

どのようにライブを楽しめばいのか、ということに触れていきたいと思います

(できれば前編からお読みください)。

chaohiroki.hatenablog.com

 

 

 まずこの2つが大前提であり、なおかつ一番核心になる部分である。

・アーティスト(+主催・運営側の人間)がどう考えているか。

・自分は客であるという意識。

 

 一つ目について、ライブとはアーティストが自分の世界や人間性を表現する場である。その方法が音楽という盛り上がる手段であるにすぎない。あなたはそうしたアーティストに感銘を受け、そのアーティストが好きになったのだと思う。どこが好き、どれぐらい好きかという範囲や程度の問題はあるとしても、あなたにはライブを見に来ているぐらいの熱量がある。ならば、アーティストの活動・思想を何よりも一番に尊重しなければならない。反対に、アーティスト側・主催者側がモッシュなどを望むならば、むしろそれには応えないといけない。

 

 二つ目について。客はお金を払って見に来ている。お金を払う以上、相応のサービスは受け取れる。楽しみ方として、ある程度の自由は保障されているだろう。さらに音源やグッズなどにお金を払っていれば、それはアーティストの活動、生活を支えていることにもなるので、より自由度が認められるようにも思う。だからといって、講演の妨げだと捉えられうるような行動をしてはならない。平たく言うと、好き勝手にふるまってはならない。なぜならば、それはアーティストの世界観・演出を破壊し、なおかつ他の客が自由に楽しむ権利を奪っている可能性があるからである。主役はお前じゃない、アーティストだ。



では具体的に。



モッシュ

ダイブ・クラウドサーフ

リフト(肩車)

 怪我あり。死亡事故もあり。大変危険。周りに迷惑。有志で体育館などを借りてライブ映像や音楽をかける運動会でもしてなさい。論外。

 

オタ芸

ツーステ

 ぶつかっての怪我。周りの視界を過度に遮る。不必要に場所をとる。以上よりライブに特別必要がない。クラブやカラオケなどでやればよい。

 

コール・声援

 演奏・演出の妨げにならないレベルでならOK。アーティストが歌う部分にはかぶせない。そんなに歌いたきゃカラオケにでも行きなさい。

 

MC中のヤジ

 面白くなることのほうが少ないしヘイトを集めやすい。アーティストが話すほうが盛りあがるし、しないほうが無難。レスポンスは早く!リアクションはわかりやすく!

 

棒立ち・ガン見

 まだまし。ただし体を揺らしたり、表情には気を付ける。笑顔、尊敬、うっとりなど。

 

ヘドバン

 長い髪の場合は気を付ける。視界をさえぎらないように。周りに当たらないように。振りたいだけならカラオ(以下ry

 

手をあげる(拳・咲くなど)

サイリウムを振る

フリコピ

 邪魔にならないように。周りには常に気を配る。みんなで一緒に応援する。

 

クラップ

 曲にもよるけど、思いっきりやろう!音が小さいと残念な印象を与える。

 

シンガロング・投げ込み

 一番の頑張りどころ!アーティストが求めているのが分かりやすいし、存分にやろう。



 どうだろう。ほかにもあるかもしれない。「そんなの自由じゃん」「勝手に決めんな」という人もいるだろう。

 でも、あなたが好きな最高のアーティストのファンは、自分勝手で最悪な人たちの集まりにしてしまっていいのか。そんなファンばかりで、アーティスト側はうれしく思うのだろうか。また次のライブを開こうと思うのだろうか。

 あなたが愛するアーティストが最高なら、そのファンも誰が見ても最高のファン。私はそんなファンでありたいし、そんな集団で行くライブが最高だと思う。客として、人として謙虚であれ。