chaoはゆめみがち

このブログでは、リアルの友人関係ではなかなか言えない部分を表に出すことを目的としたいと思っています。 普段思っていることや感じたこと、ただの日常生活のことなど、雑記です。 意見を頂けるのはうれしいです。 が、あくまで個人の感想を書き記すものですので、合理的・理性的な対応を求めます。 ではお手柔らかに、よろしくお願いします。

【レビュー】ファインディング・ドリー【感想】※ネタバレあり

 昨日テレビで放送されていたファインディング・ドリーを見ました。記憶がしっかりとしたうちに、たまにはレビューなんかもしてみたいと思います。もう公開から時間が経っていますので、ネタバレは大丈夫だと思いますが、一応。前作のファインディング・ニモは見ていません。

 

 ドリーの健忘症、多動っぷりはちょっとひく、もしくは腹が立つレベルだなあ。ということを序盤のマーリンやハンクとの会話などで思わせるように作ってある。というのもドリーの内心はあまり見えず、衝動性こそが本心のように描写されるからだ。しかしこれによって、マーリンやハンクに共感しながら話を見ていくことができるようになる。

 「ちょっとあっちに行って忘れててくれよ、忘れるのは得意だろ!」ドリーの奔放さのせいで怪我をしたニモを想って発されたマーリンのこのセリフ。第三者的に見ると、ドリーの気持ちを慮っていなくて可哀想に聞こえるが、この時点ではマーリンに感情移入しているので、怒る気持ちも十分理解できる。非常にうまく作られているなと思う。

 謎の八代亜紀推しのあと、ハンクと出会い協力していく中でドリーは自分の過去を思い出していくことになる。ハンクが有能・万能であることを描きつつも、過去のトラウマから「俺はガラスのケースの中で過ごしたい」という自由を求めないようになっているのも伏線となる。自由奔放なドリーとは対照的であり、そんな二人が触れ合い、トラブルを乗り越えることで、ドリーは自分の過去を思い出すようになる。そこで、たびたび出てくる両親とドリーとの触れ合いも、引き金となってくる。

 色々あって、両親と再会する。忘れてばかりで迷子になってしまったことをドリーが謝るなか、「あなたは忘れなかった」という。感動的なセリフであった。親子は離れないで一緒にいようという親に対し、友達のために、友達を見捨てない自分のために、行かないといけない、とドリーは選択を決意する。

 最後の脱出劇の結果として、みんなが海に放り込まれることになる。海とは決められたことが起こる場ではない。未来に恐怖し、波乱万丈なことがあれども、それでも自由に生きる、自分らしく生きることが大切だということだろう。

 丁寧に作られた話だなと思う。子どもを飽きさせないために、10分ほどの間隔でハラハラするような事件やトラブルが起きる。多くの情報をてきぱきとこなせる現代の大人にもサクサクとみられる展開であった。

 子どもから見ると、ドリーの自立に向けた成長物語になっている。最初は親にべったりだったのが、友達に目が向くようになる。つまりは、外の世界に興味を持ち、その中で活動することを望むようになる。ドリーは他のキャラクターができることも満足にできないし、トラブルも起こす。考え方も独特で、そんなスピードはそれぞれでも、できることを少しづつやっていくなかで、できることが増えて大人になっていく。

 大人から見ると、発達障害ということを連想させる。どんな子であってもその子の個性だと認め、育てていく。様々な心配はあれど、その子を大きな愛でつつみ、認めていく。そんな子育てをしてほしい、というPIXARからのメッセージを感じる。もしかすると視聴後の子どもから、「私のことを愛してくれている?」と親に対して確認されるかもしれない。子どもが愛されている感覚を充分に覚えることで、安心して外の世界で生活できるのである。

 一方で、「愛しているよ」と頻繁に家族に愛を伝える姿勢は非常にアメリカ的で、日本ではあまり見かけない。食の欧米化、個人主義など、日本は昔よりも遥かに欧米化しているのだが、「愛」「自由」「選択する権利」「自尊心」といった人として生きる上で大切なことが欠けているように思う。 生きるということはどういうことなのか、生きる上で大事なことは何なのか、ということを親子だけでなく色々な立場で前向きに考えられる素晴らしい映画だったように思う。ありがとうPIXAR