chaoはゆめみがち

このブログでは、リアルの友人関係ではなかなか言えない部分を表に出すことを目的としたいと思っています。 普段思っていることや感じたこと、ただの日常生活のことなど、雑記です。 意見を頂けるのはうれしいです。 が、あくまで個人の感想を書き記すものですので、合理的・理性的な対応を求めます。 ではお手柔らかに、よろしくお願いします。

雑記

                • あなたは本当によく感謝の言葉を言っていて、偉いね。よく気がつくね。--------

 私はこまめに感謝の言葉を述べるクセがある。別にそれは悪いことではないと思うし、何ならそす望ましいものであるような気もする。しかし、本当に本心からその言葉を言えているかどうかが分からないのだ。どうしてそうなってしまったのか…。
 まずそのクセが作られるにあたっての重要な理由として考えられるのが、感謝の言葉を述べない父に対しての母が苛立っているのを目の当たりにしてきたことである。そういった環境で育ったことで、父を反面教師として感謝の言葉を述べる能力を獲得した。つまりこれは+の成長だと言える。
 そしてもう1つ、母が度々言う、「お前には感謝の心が足りない」である(文言はその時々によって変わる)。大体は私が不服で口答えしたり、私自身が不機嫌で周りに当たるなど、母との関係性が一時的に悪化したときの切り札的に使われる。より幼少の頃には、「そういう事言うならもうご飯は作らない」という文言をよく使っていたが、年を重ねるに連れ生活を支配することに無理ができてきたからだろう。いずれにせよ心を支配すること変わらない。その言葉を向けられると、私にはどうしようもないのである。不服や不機嫌は甘え、信頼を測る行為であり、それと感謝の念は関係がない。むしろこういった不満に耳を傾け、共感してもらうことで、感謝の気持ちをより心から表すことができるのではないかと思う。強制的な敗北感を覚えた私は、父不在の家庭での第一子として相談できる吐き出し口のないまま育ち、歪んでいった。母にも余裕がなかったのだろう。
 今考えると、本当はこの台詞を私ではなく父に向けて言いたかったのかもしれない。苛立っているのを見ることはあれど、この言葉を母が父に対して言っているのを見たことがない。忙しく大変な思いをしている母を父が上手に労ってやっていれば、もっとゆとりのある環境になりえただろう。

 しかし、過去は変えれないし、これを今ぶつけたところでどうにも変わらないだろう。なぜなら母はこの言動を無意識化もしくは忘却しているからだ。
今朝、これをぶつけたい衝動に駈られてしまった。溜め込みたくないのでここに吐き出すことにはなったが、文字に起こすことで冷静になれた。
 よく耐えた、よく消化(昇華)した、自分。あなたは頑張っているよ。