chaoはゆめみがち

このブログでは、リアルの友人関係ではなかなか言えない部分を表に出すことを目的としたいと思っています。 普段思っていることや感じたこと、ただの日常生活のことなど、雑記です。 意見を頂けるのはうれしいです。 が、あくまで個人の感想を書き記すものですので、合理的・理性的な対応を求めます。 ではお手柔らかに、よろしくお願いします。

正しいライブの楽しみ方(前編)

 先日久々にライブハウスであるアーティストのライブを見た。場所はZepp Osaka bayside。アクセスは少し悪いが、その分小綺麗で快適なライブハウスだった。

 あまり予習してはいなかったのだが、熱心なファンがいることで有名だったので熱狂的なファンの邪魔をしないように周りの様子をうかがいながらライブを楽しんだ。男女比は8:2ぐらいで、見たところ30代以上の人が多そうだった。外国からわざわざライブを見にきたファンもいた。曲は分からないまでも、自然と体がノるもので、声を出すことも十分できた。ライブ自体は楽しくできたのだが、そこで三つ感じたことがある。

 

 一つ目は、MC中や曲中に声を上げること。一見なんの問題もないが、問題はそのタイミングと声の大きさである。特に目立っていたのは、外国人の方だ。声が大きいのに加え、そのタイミングがずれているのだ。声援・応援というよりかは叫んでいる・吠えているような感じで、彼が声を上げるたびに、周りが騒めいたり、「こいつは違うな」という空気が流れたりしていたように思う。

 しかし、世界的なアーティストであり、本人も活動の拠点や方向を世界に向けていることから、色々な客が来ることは想定できる。それなのに、排他的な日本の客層を見て、彼はどう思ったのだろう(最も、そのように考えられる繊細な感性があればこのような応援はしていないかもしれない)。

 それを踏まえても、私は彼のタイミングや声の大きさは場に不適切だと思う。郷に入っては郷に従え。その場に応じた声援というのは必要である。なんでもかんでも叫べばいいとは思えない。だからといってわざわざ注意をする必要もされる筋合いもないと思うので、そういった声援を送りたい人は日本以外でのライブに参加したほうが双方の得になるだろう。

 

 二つ目は、前方で肩車からのダイブ(モッシュもあったらしいが私は見ていない)があったことだ。それらの行動は、フェスで若い大学生などが調子に乗ってする行動だと思っていたので、客層からは考えられない行動だった(ダイブなどをしていたのは若い女性であった。社会人だと思うが、大学生ぐらいにも見えた)。盛り上がるライブではあったが、この行動が確認できてから、アーティストが顔をしかめ、歌わなかったり弾かなかったりするのが見えた。そういう演出や勘違いかもしれないが、私としてはこの二つの行動に関係があるうように思えてならない。

 

 三つ目は、ノリ方(特に新曲に対して)である。音源未発表曲など、新曲の多いライブであったため、どこで声や拳を上げていいか、頭や体を揺らしていいのか、という点がわからないのである。

 私は海外でライブを見たことがないので、映像などで見るだけだが、海外の客は仮に新曲でも好きに体を揺らし、アーティストにかぶせてでも歌ったり、声を上げたりするといったイメージがある。一方で、日本の客は棒立ちである。自然と体を揺らすといった行動が見られにくい。アーティストから盛り上がるような行動を示されて、初めて動くことを許可されるという印象が見受けられる。

 国民性の問題だといえば簡単だが、そこは客が考えるべき問題であろう。自分がアーティストとして、新曲をやって棒立ちになられたらどう思うだろう。もちろん曲の雰囲気にもよる。うっとり聞きほれる場合もあるだろう。めちゃくちゃ盛り上がる曲の場合もあるだろう。でも、なぜ新曲をやるのか。そこにはアーティストの思いが必ずある。客に喜んでほしい、新しい世界観を見せたい、などなど。それに客としてどう応えるのがよいか、よく考えていきたい

 

 では、ライブはどう見て、どう楽しめばいいのか、その一つの正解を考えて示したいと思う(続く)。

冴えない(男の)彼女(を作るため)の育てかた(を教えてください。)

 タイトルのアニメは見たことないです。キャストてきには面白そうなんだけどね。

 

 

 夏の予定が埋まり始めています。嬉しい。一人の予定、友達との予定。本当暇なのでありがたい。しかもめっちゃ誘ってもらってる。助かる。意外と自分には友達が多いのかもしれない。

 その分女運が全然ない。というか女の人に対しての免疫がない。すぐ好きになってしまう。なのでできるだけ意識しないように、人間性を見るように戒めている。女性として好きなのではなく、これは人間的に好きなのだ、と。愛というものをきちんと受け取れなかった日々を過ごしているので、どうしても天秤の傾き方が極端なんだよなあ。

 

 夢を更新しました。残りの2つはまた後日更新します。

 

chaohiroki.hatenablog.com

SM論

 そう。SM。若い男女の間では語られることも多い変態性欲の一つである。私がもの申したいのは、そこである「俺どSなんだよねー」という男は大抵性格の悪いクズ、という話についてである。
 多分この人の中では、SというのはSMごっこプレイでのSであったり、親密さ故の少しの我が儘や意地悪な一面を見せてほしいという意味なのだと思う。
 しかし、Sというのは相手を痛めつけたり傷つけたりすることで快楽を得る変態なのである。変態というのは一般的ではないから変態なのである。理解されないから変態なのである。
 だとすれば、この男は相手を傷つけるという点ではかなり本質的なSに近いと言える(ただし、性的快楽を得ているかどうかが次の論点となる)。

 結局何がいいたいかというと、これもまた正確な言葉を使おうということなのだろう。底辺に合わせるのは簡単だ。それは人間としてのレベルの低下である。向上するためには、必死な努力が必要である。向上しないならそれも構わないが、文句は言えないし、少なくとも同じ人間のレベルとして扱われることがあってはならないだろう。

もうしょざんしょみずぎっしょーせい!

夢を更新しました。

chaohiroki.hatenablog.com

 

今回はいつにもましてカオス。

 

 最近は暑さがすごいですね。日当たりの問題で部屋ぬくもるので、クーラーを入れないとやばいです。でも冷えすぎと乾燥で体調を崩しています。

 釣りに行ったり、一人小旅行をしたりとアクティブに活動もしています。釣り場のまとめなんかも作ってもいいかもしれないね。その分作曲活動はストップしつつあります。夢のストックもあるし書きたいネタもあるんだけど、スマホからの更新はやりにくいんだよね。

 

 最近死にたい欲がまた復活してきました。熱中症西日本豪雨での被災状況を見るからでしょうか。死亡のニュースを見るたびに、この人の代わりに自分が死んで助けてあげられたらいいのにな……なんて思います。私はなんで生きているんでしょう?そしてきっとこの悩みが解決し、楽しく生きている頃に、突然事故にでもあって死ぬんだと思うのです。私の?人生とはそんなものなのでしょう。安らかに痛みなく、苦しまずに死ねたらいいですよね。R.I.P.

大口病院殺人看護師事件から思う「サイコパス」

https://www.fnn.jp/posts/00395987CX

元看護師「死刑覚悟」「10人以上に」 点滴に消毒液 ニュースより

 

 患者の健康、ひいては命を預かる立場である看護師がこのような凶行に及んだとする(本人は殺害を認めているが、裁判で確定していないためあえて断定はしない)のは衝撃的なニュースである。この事件以前に小学校や障害者施設が襲撃される事件もあったが、病院でもこのような事件が起こるのなら、安全な施設というものはもはや存在しないのかもしれない。

 しかし、私が気になったのは、この容疑者の動機や犯行内容についてではない。まとめサイトでこのニュースを見ていると、何度も同じ言葉が出てくる。

 

 それは「サイコパス」という言葉である。

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 サイコパスとは、ロバート・D・ヘアの定義によると

  ・良心が異常に欠如している

  ・他者に冷淡で共感しない

  ・慢性的に平然と嘘をつく

  ・行動に対する責任が全く取れない

  ・罪悪感が皆無

  ・自尊心が過大で自己中心的

  ・口が達者で表面は魅力的

 ケヴィン・ダットンによると主な特徴は、

  ・極端な冷酷さ

  ・無慈悲

  ・エゴイズム

  ・感情の欠如

  ・結果至上主義

 

  現状では、チェックリストのみが診断基準であるので医学的にサイコパスと同じ状態であっても反社会性がなければサイコパスとはならない。(Wikipediaサイコパス」より省略・改変)

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 容疑者は、「自分が当番のときに患者に死なれたくなかった。遺族への説明が面倒だった。」という意味合いの自供をしている。自分の担当の時間でないときに死亡するように計画的に犯罪を遂行したようである。

 そしてこの自供を元に容疑者はサイコパスだ、との書き込みが成されている。

 確かにこの発言を聞くと、良心が欠如している、冷酷だ、自己中心的で人命を軽んじているから反社会的だという考えられなくもない。

 しかし、面倒だ、というのは感情が欠如しているからではないし、逮捕を受け入れこのような発言をしていることに責任が全く取れない訳ではない証拠ではないだろうか。

それぞれの項目で考えると、

  ・良心が異常に欠如している→〇(何をもって「異常」なのかはわからない)

  ・他者に冷淡で共感しない→〇(共感しないかどうかはわからない)

  ・慢性的に平然と嘘をつく→?(不明)

  ・行動に対する責任が全く取れない→×(逮捕には応じているし、死刑を望んでいる)

  ・罪悪感が皆無→×(同上)

  ・自尊心が過大で自己中心的→△(自尊心が課題かどうか不明)

  ・口が達者で表面は魅力的→?(不明)

 

  ・極端な冷酷さ→〇(極端かどうか?)

  ・無慈悲→△(苦しませる意図はなさそう)

  ・エゴイズム→〇

  ・感情の欠如→×

  ・結果至上主義→〇(至上かどうかはわからないが、確実に結果を出そうとしているようには見える)

 

 二人の定義・特徴を合わせた12項目のうち、〇は5つ、△は2つ、×は3つ、?は2つになった。この定義を全て満たす必要があるのか、過半数ならいいのか……。容疑者の自供・発言は心から出たものだと信頼できるのか。そもそも医者でもない人間が判断することはできるのか。考慮の余地があることは明白であるが、それは専門家が判断すべべきことであり、素人ができるのは考えを広げることだけである。

 

 では、結局何が言いたいのか。この「サイコパス」という言葉を、単なるレッテル張りに用いてしまう浅慮な人間の増加と、正しい意味を奪われ非常に曖昧で浅い言葉になってしまうことが残念なのである。

 人間は考える生き物である。考えを止めた人間は人間ではない。また、言葉は道具である。道具は正しく使ってこそ価値がある(なお、私は言葉の誤用や意味の変化を完全否定するつもりはない。これに関しては、また機会があれば書き記すこととしたい)。

 

 余談だが、犯人のこの心境はこの環境(労働時間、責任の重さ、給与、閉鎖性)で働き続ければ割と起こりえる話だと思う。それは私自身にサイコパスの素質があるのかもしれないが、看護師を聖職として神格化している前提があるからではないだろうか。私からすれば、このような環境を放置・容認する経営者・政治家・マスコミ・国民性の方がよほど狂っているだと思うのだが……。社会性は多数派、力の強い者が作るものだから仕方がないのかもしれないが、そうだとすればこのような事件は今後も減ることはないだろう。

 

夢 その13

【日時】
 不明

【場所】
 不明

【内容】
 ケモノもののエロゲをやるTとそれにドン引きするM

【考察】
コミケ組2人。その2人の関係に嫉妬?羨望?趣味、つまり自分を曝け出すことが拒絶されることにつながると認識している?

【日時】
 色々

【場所】
 海辺、崖

【内容】
 人の皮から若さと命を吸収する事件が起きている。
 犯人は一人、岩場の竜宮城のようなところに住んでいる。そこに仲間と船で退治?しにいく。
 ところが単独犯ではなく二人だった。その一人とは、被害にあっていた犠牲者だったとされていたが、実は同調して仲間になっていた。
 二人からほっといてほしいように言われるが、事件である以上説得を試みる。しかし、敵わず襲われる。妹の機転で逃走できる。しかし、危機には変わらない。妹と仲違いしたような苦肉の策を用いてなお欺こうとし、反撃を試みる。

【考察】
若さは欲しいもの。命は手放そうとしているもの。
敵が増えてしまうこと、味方だと思ってるのに裏切られ、闘うこと対立することになってしまうのは現状の暗示か?

夢 その12

 この日は夢を5つ見ました。最多記録です。

 

その1

【日時】

 不明

【場所】

 スーパー

【内容】

 父と食材を買い出しに行く。スーパーでカートを押していたような。

【考察】

 直近でBBQのために買い物をしたことを思い出しただけだろうか。夢の中で少し会話もあったように思うが、思い出せない。父との思い出が少なく、楽しいものとなるとなおさらなので、夢に出たのだろうか。

 

その2

【日時】

 夜

【場所】

 おしゃれな居酒屋

【内容】

 友達と飲み会をしている。メンバーは高校のいつめん。その中でも特にI氏の声がでかくうるさい。話がそれなりに盛り上がる中、テーブルの上から棚が吊り下げられていて、そこに置いてあるギターをUが撮ろうとする。しかし、足を引っ掻けて倒れて卓上の食器やコップが全部割れてしまう。あまりの衝撃に地震説が出た。俺はオロオロしてフォローに回ってた気がする。

【考察】

 リアルな内容。I氏がうるさいのも、Uが急に無茶するのも現実にある。場所のイメージはテレビで見たリフォームした家のキッチンだろう。たまには人もミスすることやダメなことがあるのを再確認できる。ということは、自分のオロオロ感が良くない部分なのだろうか。無理にかかわらない、適切に距離を置くということは実践したいところではある。以前はそうでもなかったけど、これは仕事をしてから強化されたことである。もっと無責任になってもよいよ、自分。

 

その3

【日時】

 夜

【場所】

 家

【内容】

 夕食の時間になった。部屋にこもっていたので、リビングから夕飯ができたことを伝えられる。食べるかどうか聞かれたが、私以外は昼にチャーハンを食べていたが、自分はダイエット?面倒だから?食べていなかったので、チャーハンを食べることを夕食より前に伝えて答えていたのでゲームをして返事はしていない。

 しかしそこで母は唐突にきれる。

母「今は晩飯じゃなくて、チャーハンの時間か」

自分「いつからそんな習慣できてん。間違ってるんはそっちやん、謝ってもらおうか」

母「謝ってもええけどお母さん(謝らしたら?)怒らしたら怖いで」

 

【考察】

 ここ最近はダイエットのために減食しているので、それによって食事量や内容は結構変動している。このエピソードは実際にはない話だが、あり得る内容だ。

 夢の中なので整合性がないことや、記憶が曖昧なためきちんと記録できていない部分はあるが、私からすると一貫した内容になっており、母は突然切れたことになる。結局のところ、事前に伝えたはずの情報がきちんと伝わっていないということが原因となっている。

 これは現実でもよくある話で、きちんと母が情報を把握しておけばよいだけの話なのであるが、自分の伝え方が悪いのか、それとも自分自身が軽んじられているのか(おそらく後者)伝わらず喧嘩になることが多い。そうなった場合、私は自分の落ち度や責任について言及し、喧嘩両成敗にもっていこうとするのに対し、母は自分の記憶を捻じ曲げてでも(記憶にないだけかもしれない)相手を非難する。これに加えて子ども時代は衣食住など生存権も握られているため、人間性が大きく歪んだのはこのような環境で育てられたことが大きいと考えている。

 さらには、父母はそのような艱難辛苦を与えながら、平然と「それを乗り越えればよかったのに」などと宣ったことがあった。自分自身らの犯した罪を認め、謝罪するとともに、大切に接しなおす(育てなおす)ことが重要だと思うのだが、今現在もその行動は見られず、現状は放置されたままである。自殺を考えている私とは対照的で、口だけ、見かけだけで行動しようという気は本当はないように見える。どうするのかな。